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松本人志失言問題

 松っちゃんのアホが死んでも構わないという趣旨の発言が波紋を呼びました。土曜深夜のラジオ「放送室」での発言で、私も録音して毎週聞いています。
 実際のところは、おかしいのは最初に報じたJ-CASTだ、との批判が飛び交い、逆にJ-CASTが祭られるという事態に発展した。マスコミの部分だけを切り取って悪く、もしくは意図的に誘導しようとする姿勢は今に始まったことではないけれど、ここまでひどいのは珍しいのではないか。

 放送自体は、チューリップ花壇荒らし事件から始まり、一貫して「メディアはこういうのを報道する必要ない」(そもそも騒がれて楽しみを感じるのだから)「アホが真似をする」という論調で話は進みます。このメディア・アホ批判は10分近くあったと思いますが、序盤から模倣したりする人を「アホ」と呼んでいます。硫化水素自殺に話は及び、やはりメディアがなぜ一々報道するのか、疑問であるという話が続く。ここで松本は「(前略)アホが死んだら別に俺はええねんけど(後略)」と発言。これがJ-CASTに批判される。

 放送をきちんと聞いたまともに日本語がわかる人なら誰でも読み取れることであるが、松本のスタンスとして、自殺をする人がいるのは仕方がなく、いくら止めろといったり、このように放送で呼びかけても、無駄(ゼロにはならない)である、というある種の諦観がある。そして、自殺そのものが罪深いもので、そんなことをするのは「アホ」だと断ずる。どれだけ本人が小さいことで悩んでいようが、下らないことでくよくよしていようが、自殺をしてしまったら全て終わり。自殺をするのは下の下だと。
 
 だから、松本本人としては、自ら「アホ」に成り下がる人は、個人対個人として関わりたくもないと思っているんだと思う。実際に自分のこととして考えた時、自分の友達がそんなことを考えていれば、止めもしよう。しかし積極的に自殺の名所やらに暇さえあれば行って、自殺を止めることなんてするだろうか(そういう活動をしている人は実際にいる)。皆どこかで無関心なんではないか。
 だからそんな「アホ」が死んでも構わない、のだ。死んでもいい、と言うのではなく、そいつの勝手だ、という意味だ。でも、死ぬな!なんてアツいメッセージだけを流すなんて松本の性分には全く似合わないことは知っている人も多いだろう。どうしても問題となったような言葉を前置きしたくなるのは彼にとって自然だ。個人的にはどうでもいいんだけども、という。

 「自殺する人はアホで、すべて止められるものではない。が、しかしなぜメディアは煽るような、知識や、ヒントを与えるようなニュースを流すのかわからない。止めるべきだ」がこの一連の会話の趣旨。もちろん批判的な感情を覚える人もいらっしゃると思うが、その時はどうか全文を聞いてから行動されて欲しい。青山学院の入試問題批判を思い出すなぁ。


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【2008/05/25 19:07】 | ニュース | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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