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気分がすぐれない時は
 学生時代ののんきさに比べて(それはそれで大変だと思っているものだけど)、仕事でのストレスやその他嫌な気分とはまるで別物だ。一年経ってもクラス替えがあるわけでもなし、二年経っても解決しなければいつまでものしかかったままだったりする。

 嫌な気分を無いものにするか、もしくはそれを仕事に生かすためにはどうすればいいだろうか。僕の好きなアランはこういう。

「「うまくいったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまくいったのだ」といつも考えねばならない。(中略)なぜなら、希望から求める理由が生まれ、吉兆から事が成就するのだから。だから、すべてのことがいい予感であり、吉兆である。「君がそれを欲するならば、カラスが君に告げているのはしあわせなのだ」とエピクテトスは言っている。」(『気分』より)
 
 エピクテトスの言葉は、この後に出てくるのだけれど何でもとにかく喜べばよい、といっているのではなく、あなたが本当に希望したなら、カラスの不吉な鳴き声さえ、本当に幸せなものになり得る、ということである。
 また、『幸福論』を読むと、何度もとにかく体を動かせ、という言葉が出てくる。「意思は情念に対してまったく無力だが、運動に対しては直接の支配力をもっている」(『こころのしぐさ』より)
 意思で嫌な気分を吹き飛ばそうにも、とても難しいものだが、運動することに対しては命令=動きというほぼ一対一の関係が持てるので、とにかくトイレにでもいって、体を無意味でもいいから誰にも気付かれない程度に大きく体を動かしてみるのはとてもいい気分転換になる、と僕は思っています。囚われていることから、一瞬でも離れることで、視野が広がるというメリットもあると思います。

 とりとめのない文章になってしまいましたが、最後にもうひとつ。「不幸なことに、絶望には確信がつきまとう」(『絶望しないこと』より)当たり前のことなんですが、ちょっと気付きにくいことだなぁ、といつも感心してしまいます。信じたくない、嫌なことのはずなのに、まず自分がそれを「確信」してしまっているという状況があり、「絶望」よりも一瞬先にそれが存在するという違和感。その状況はおろか自分の心さえもが、袋小路に入ってから、当然のように絶望してしまうという無力感。
 
 だから、始めに挙げたように、まさにその逆に自分の「希望」することが、実際に実現・達成させる前提とならなければいけないわけで、また意識してそうすべきだ、とアランは言うのでしょうね。

 
 折に触れて、気になるプロポ(短いテーマを持った文章)を一つか二つ、軽く拾い読みするのがとてもオススメです。その時々の自分によって響いたり、響かなかったりする。困っている時に感動したものが、困っていない時には素通りしてしまうような、まるで生きている様な文章。


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テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

【2009/07/10 00:09】 | 仕事 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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